「真珠の響き」を求めて 第3回

――真珠の比喩と才能の階級――

上田泰史
日本学術振興会特別研究員 (SPD)

 
 第2回までは、「真珠」と演奏の関係を、17世紀末以降のフランス語辞典を紐解きながら見てきました。辞典を見る限り、ピアノという個別の楽器への言及は見当たりませんでした。しかし、ピアノを含めた楽器の音を真珠に喩える表現は、別の場所で豊かに使用されていました。それは、音楽批評です。今回は、19世紀のパリで刊行されていた音楽専門誌から、真珠の比喩がどのような頻度で、どのように使われていたのかを見ていきましょう。

ピアノと声楽がダントツ!

 19世紀のごく初期までは、音楽批評は一般新聞の文芸欄で行われていましたが、1820年代に入ると、音楽雑誌が次々に登場しました。筆者が今回調べたのは、1830年代以降に刊行されていた、代表的なパリの音楽雑誌4誌です(『メネストレル』[1833-1940、略号Mén]、『アール・ミュジカル』[1860-1870 ; 1872-1894、略号AM]、『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル』[1835-1880、略号RGMP]、『フランス・ミュジカル』[1837-1870]略号FM)。各誌の創刊から1889年までの期間で、「真珠(ペルル)」や「真珠飾りの(ペルレ)」という語が用いられている演奏関連記事を全部調べてみました。下のグラフ*1は、どのような楽器に対して、どの程度の頻度で真珠の比喩が用いられたかを示しています(縦軸の単位は「回」)。
 
*1 上田泰史「真珠の比喩と『フランス的』なピアノ演奏様式の成立に関する試論」『音楽を通して世界を考える[副題略]、東京藝術大学出版会、2020、543頁より転載。
 
上田泰史「真珠の比喩と『フランス的』なピアノ演奏様式の成立に関する試論」
 
 これをみると、実は「真珠」の比喩は声楽とピアノに対して頻繁に用いられていたことが分かります。そのほかは、ヴァイオリン、ハープ、フルートがやや目立っています。なぜ声楽とピアノが多いのでしょうか。まず、「声楽」の内実が、オペラの歌唱であることに注目しましょう。19世紀のフランスにおいて、作曲家が社会的成功するということは、オペラで成功するということでした。オペラは、フランスが伝統的に重視してきた古典演劇と音楽芸術の融合であり、楽器法や対位法、和声といった理論に留まらない教養を必要としたからです。とくに、グランド・オペラという4~5幕ものの壮大な作品を上演する大文字の「オペラ座」は、フランス音楽アカデミーと呼ばれ、音楽界でもっとも権威ある団体でした。ドイツ語圏とは異なり、オペラが社会的に非常に重視されたのには、こうした背景があります。

ピアノ演奏表現の手本としての声楽

 19世紀フランスのピアノ教則本を紐解くと、演奏表現の模範を声楽に求めるよう生徒に勧める記述がしばしば見られます。ショパンもイタリア座でベッリーニが作曲したオペラの歌唱に心を奪われ、その反映がノクターンなどのジャンルに反映されていることはよく知られています。パリ音楽院草創期のピアノ教授エレーヌ・ド・モンジュルー(1764~1836)は、1820年頃に刊行したピアノ教本で、ピアノを弾くときは、イタリア的な歌唱を聴いているかのような「錯覚」*2を見せなければいけないと述べたり、若いピアニストに「歌の技法を完成に近づけたいと思うならば、イタリア楽派の偉大な歌手たちのなかに手本を求めることになるだろう[…]*3」と勧めたりしています。
 ではじっさい、どのような特徴に人々は「真珠らしさ」を聴き取ったのでしょうか。真珠に喩えられた歌手のうち、多くは女性、しかもソプラノの割合が多くなっています。その理由は、女性の舞台衣装に真珠の装飾品が用いられていたということもありますが、当時の聴き手が高い音域の華麗なパッセージ(トリルやルーラード等の装飾音)に、真珠との形態的な類似を見出していたからでしょう。ソプラノのアリアには、しばしば広い音域に亘って技巧的なパッセージを披露する箇所が用意されていました。それは「ポワン・ドルグ」(フレーズの末尾にフェルマータの記された箇所)と呼ばれる即興的な部分で、披露される巧みな歌唱能力が、歌姫の個性として認識されていました。下の楽譜は、フランスのテノール歌手でパリ音楽院教授だったジルベール・デュプレが、自身の教則本『歌の技法』*4の中で紹介している当代の著名歌手たちの「ポワン・ドルグ」です。

ジルベール・デュプレ『歌の技法』に示された、名歌手たちのポワン・ドルグ
上から順に、パスタGiuditta Pasta (1797-1865)、ピザローニBenedetta Rosmunda Pisaroni (1793-1872)、マリブランMaria Malibran(1808-1836)、シンティ=ダモローLaure Cinti-Damoreau(1801-1863)による実例(1頁目のみ)。

*2 Hélène de Montgeroult, Cours complet pour l’enseignement du Forte-Piano, conduisant progressivement des premiers éléments aux plus grandes difficultés, Paris, Janet et Cotelle, vol.1, 1820, p. 1.
*3 Ibid., p. III. モンジュルーは同書p. 233でも同じことを繰り返し強調している。
*4 Gilbert Duprez, L’Art du chant, Paris, Bureau central de musique, 1846, p. 210.
 
ジュディッタ・パスタやシンティ=ダモロー夫人
 
このような楽譜を見ると、ジュディッタ・パスタやシンティ=ダモロー夫人といった当時一流の歌姫たちの驚異的な歌唱力が偲ばれます。
 
《ロミオとジュリエット》のジュリエットに扮する歌姫アデリーナ・パッティ
 

《ロミオとジュリエット》のジュリエットに扮する歌姫アデリーナ・パッティ
真珠の装飾でで身を包んでいる。
出典:National Portrait Gallery CC0

真珠に化けた穀物

 
 フランスで声楽を真珠に喩える習慣は、ピアノ演奏に先んじていたかもしれません。じっさい、第一帝政下のパリで活躍し、1810年にパリ国立音楽院の名誉教授に任命されたイタリア人カストラート、ジローラモ・クレッシェンティーニ (1769-1846)は、《ヴォカリーズ練習課題集》*5の序文で「ペルレ」という語を用いています。この序文には、イタリア語の原文とフランス語の訳文が掲載されていますが、面白いことに、イタリア語では「グラニート」つまり「(穀物の)粒のように」と書かれている箇所が、フランス語では「ペルレ」つまり「真珠のように」と訳されています(以下、フランス語からの和訳、下線は筆者による)。
 
*5 Girolamo Crescentini, Raccolta di Esercizi per il canto all’uso del vocalizzo con discorso preliminare, Recueil d’Exercices pour la vocalisation musicale avec un discours préliminaire Paris, Imbault, n.d.

演説においてアクセントが、柔らかく落ち着いた感情よりも、強く高貴な情熱においていっそう際立たされるべきであるように、歌においても、発声、トリルないしカデンツァ、ルーラード、グルペット(b)は、アダージョよりもアレグロにおいていっそう真珠飾りのように一音一音はっきりと(perlé)、またいっそう加速させて演奏されるべきである。
(b) 小さな音のまとまりのことで、アグレマン[装飾音]の一種。

 フランス文化に移入されるとき、土臭い意味合いが避けられ、いっそう都会的でエレガントな、つまりは社交的なニュアンスが与えられたことがわかります。もっとも、このグラニートという語は、当時すでに一種の楽語として理解されていました。18世紀前半にイタリア諸都市、ロンドン、ウィーンなどで名を揚げたイタリアのメゾ・ソプラノ、ファウスティナ・ボルドーニ(1697~1781)についての伝記記事*6には、次のような記述が見られます(原文フランス語)。
 
*6 Ernest David, « Hasse et ses contemporains. La Faustina », Revue et Gazette musicale, La Cuzzoni. – La Mingotti.(2e article.), 40e année, 23 mars 1873, no 12, p. 89.

彼女は、イタリア人が『グラニートな歌唱il canto granito』と呼ぶもの、すなわち引き締まっていて、精緻で真珠で飾られたごとく(perlé)、鋭敏な歌い方、つまりは『流暢な話しぶりlingua fluente』のことで、すなわち別のどの語も非常に早く、はっきりと発音する能力のことである。

 フランス語辞典には見られませんでしたが、楽音を真珠に喩える習慣は、イタリアの劇場歌唱様式と深く結びついていたのでした。
 
ジローラモ・クレシェンティーニ
 

ジローラモ・クレシェンティーニ
(BnF, Gallica, public domain)

演奏と真珠が交換される

 形態のイメージから、粒立ち良く並んだ楽音と真珠が似ている、というのは分かりやすい類比ですね。しかし、真珠に例えられた名手の演奏が、本当に真珠と交換されたという、興味深い伝記的事実があります。
 19世紀、楽音は「もっとも上質の(=きれいな水で育った)真珠」*7と評されたり――これは批評家としても活躍した作曲家ベルリオーズの表現――真珠以外でも、銀、水晶、宝石一般に喩えられたりしていました。このようにフランス語の「ペルレ」という表現は、演奏文化に高い社会的価値を与えるのに重要な役割を果たしています(⇒第2回の記事参照)。この比喩表現は、言葉上の比喩に終わることなく、実際に演奏と真珠を交換するという行為としても現れました。19世紀には、王侯貴族が演奏家の名演に対して宝石で対価を支払うことは珍しくありませんでした。歌手やピアニストなどの音楽家が、真珠をあしらった装身具を下賜されたことを報告する記事が、音楽雑誌にはいくつも見られます*8。
 例えば、ハンガリーのソプラノ歌手エルカ・ゲルシュター(ガルディーニ夫人、1855~1920)はプロイセン宮廷で演奏したときに、皇后から「大いなる満足の印として」、「見事な真珠と宝石の首飾り」を賜ったといいます*9。もうひとつ事例を紹介しましょう。1847年、「フランス国民の王」ルイ・フィリップの五男オマール公アンリ・ドルレアン(1822-1897)の夫人、両シチリア王女マリー=カロリーヌは、パリ音楽院教授を務めていた名ソプラノ、シンティ=ダモロー夫人をシャンティイにある館のサロンに招き、国王を初めとする王族の親密な集いで歌わせました。オベールのオペラ=コミック《黒いドミノ》やロッシーニの《セビーリャの理髪師》からの抜粋を歌ったシンティ=ダモロー夫人は、王家の人々を大いに喜ばせ、高価な贈り物を賜りました。そのときの様子を、ある音楽雑誌はこのように報じています。
 
*7 Hector Berlioz, « Concert de Mlle Mazel à l’Hôtel-de-ville. », Revue et Gazette musicale, 3e année, no 28, 10 juillet 1836, p. 244.
*8 例えば、オペラ座のメゾ・ソプラノ歌手ロテール Mme Gueymard-Lauters (dite Mme Pauline Lauters,1834- ?) は、1857年3月にチュイルリー宮殿で行われた演奏会で歌い、ナポレオン3世は「大いなる満足の印としてcomme témoignage de leur haute satisfaction」彼女にダイアモンド、エメラルド、そして真珠がちりばめられた腕輪を授けた。ロテール夫人はそれをつけて、ヴェルディの《トロヴァトーレ》に出演した。Cf. Anonyme, « Nouvelles diverses », Le Ménestrel, 24e année, no 16, 22 mars 1857, p. 3. ; Anonyme, « 44e concert du Ménestrel », Le Ménestrel, 24e année, no 19, 12 avril 1857, p. 2.
*9 Émile Barateau, « Nouvelles diverses[.] étranger. », Le Ménestrel, 44e année, no 22, 28 avril 1878, p. 3.

ついに彼女は、王族の流儀に従って、つまり歌の女王の作法で、一枚一枚、そのたいへん美しい栄冠の葉を摘み取った。それゆえ、翌日になると、王族はシンティ夫人の喉から漏れ出した比類なき真珠と引き換えに、寓意的な装飾品を彼女に差し出した。それは、もっとも上等の、貴重な真珠であった。権力には権力をもって遇するということである*10。

*10 Anonyme, « Nouvelles diverses. », Le Ménestrel, 14e année, no 27, 6 juin 1847, p. [3].
 
ロール・シンティ=ダモロー夫人(1830年) (BnF, Gallica, public domain)
 

ロール・シンティ=ダモロー夫人(1830年)
(BnF, Gallica, public domain)

 
 このケースは、「真珠のような」音を奏でられる者が、芸術の領域において王族に匹敵する社会的尊敬を集めたということを示しています。まさしく、シンティ=ダモロー夫人はバルザック的な意味での「才能の貴族階級」の人であり(⇒連載第2回参照)、「才能の女王」として公認されていたということにほかなりません。
 

聴衆に真珠を振りまくピアニスト

 演奏が真珠に値するなら、真珠のような楽音を聴く一般聴衆は、舞台から振りまかれる真珠を耳で捉えているも同然です。ベルギー人の父とドイツ人の母をもつフランスのピアニスト、マリー・プレイエル夫人は、当時もっとも名高い女性の職業ピアニストのひとりであり、その装飾法は称賛の的になっていました*11。1860年3月、彼女の演奏会を聴いたある批評家は、その様を次のように報告しています。
 
*11 ピアニスト兼作曲家で優れた伴奏者として活躍したフランスの音楽家ジュール・コーエンは、マリー・プレイエル夫人に献呈した《哀歌》というピアノ独奏曲を、プレイエル夫人が加えた装飾や走句を付加するかたちで出版している。それは、プレイエル夫人の装飾法を知る上でも興味深い資料である。
 
 ホール中が喝采した。プレイエル夫人はこう言っているように思われた。「あなた方は真珠をお望み?サファイア、ルビーはお好き?ダイヤモンドはお気に召します?すると、たちまち魅了する彼女の指からは真珠にルビー、サファイアにダイヤモンドがまばゆいばかりの雨となって降って来るのだった。人々は「ブラーヴァ!ブラーヴィッシマ」と叫んで芸術家を再び呼び出し、詩人は「百合を与えよ!Date lilia!」と繰り返しながら立ち上がる――花々を投げよ、腕いっぱいの花束を投げよ!*12
 
マリー・プレイエル夫人(1839年)
 

マリー・プレイエル夫人(1839年)

 
 プレイエル夫人が口にしたわけではないにせよ、聴き手は非凡なピアニストから音の宝石を授かるような態度で演奏家の才能を讃えました。真珠の比喩を用いることで、批評家は社会階級と芸術的階級を類比させ、奏者の精神的な気高さを是認しています。このように、真珠の比喩はフランス文化における芸術家の社会的・精神的ステイタスを介在するシンボルとして機能していたのです。
 

(つづく)

*12 Gusrave Choquet, « 2e Concert de MM. de Cuvillon et G. Pfeiffer », La France musicale, 24e année, no 13, 25 mars 1860, p. 149.

上田泰史

金沢市出身。
2016年に東京藝術大学大学院音楽研究科文化学専攻にて、19世紀のパリ音楽院のピアノ教育に関する研究で博士号を取得。
同年にパリ=ソルボンヌ大学でもパリ音楽院教授ジョゼフ・ヅィメルマンに関する論文で博士号(音楽学)を審査員満場一致で取得。在学中、日本学術振興会より育志賞を受ける。
著書に
『「チェルニー30番」の秘密――練習曲は進化する』(春秋社,2016)
『パリのサロンと音楽家たち――19世紀の社交界への誘い』(カワイ出版, 2017)。
2018年4月より日本学術振興会特別研究員(SPD)を務める。
東京藝術大学、国立音楽大学、大妻女子大学ほか非常勤講師。

リンク(書籍)

上田泰史:「パリのサロンと音楽家たち」19世紀の社交界への誘い-カワイ出版オンライン
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