「真珠の響き」を求めて

第1回:「ジュ・ペルレ」とは何か?

上田泰史
日本学術振興会特別研究員 (SPD)

はじめに

 みなさん、こんにちは。人類が100年に一度経験するかしないかという未曾有の状況下にあって、ピアノ文化もいよいよ新たな局面を迎えています。そうした中、全日本ピアノeコンクールは、人と楽器、奏者と聴き手の新しい関係を創り出そうとしています。しかし、そこには幾多の困難もあります。デジタル空間で私たちはどこまで音楽に「情報」以上の価値や感動を見出すことができるのか、そして双方向的な意思疎通が可能になるのか。私たちは、いまこそ知恵を絞って、表現行為も含めた芸術作品が、目の前で展開しているということの意味とその尊さと意味を考えるべきなのかもしれません。
 さて、今回は全日本ピアノeコンクールに寄せて4回にわたる連載を書かせて頂くことになりました。私は西洋音楽の歴史を研究したり、いくつかの大学で音楽に関する様々なテーマで講義をしたりしています。専門はロマン主義を中心とした19世紀フランスの音楽です。作品だけでなく、ピアノ演奏スタイルの変遷についても関心があり、録音技術が発明される以前、ピアニストたちがどのように演奏していたのか、という難問にチャレンジしています。この連載では、私の最近の研究から、かつて「フランスらしい」と言われた演奏スタイルについて少し変わった側面から紹介してみたいと思います。
 この連載のテーマとなる切り口は「真珠」です。ピアノと真珠・・・一方は工業製品、他方は自然が生み出すの宝石。一体、どうしてこの二つが結び付くのでしょうか。それでは早速、見ていきましょう。

 

真珠の響き

 

ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》(1665年頃)
その大きさから、模造真珠ではないかとの議論がある。
Mauritshuis, Public domain

真珠に喩えられた演奏

 みなさんは、「ジュ・ペルレ」や「パール奏法」という言葉を聞いたことがありますか?多分、ピアノの先生方である世代以上の方々は、ご存じかもしれません。「ペルレ」や「パール」というのは、真珠のことです。フランス語で真珠は「ペルル」、英語では「パール」ですね。「ペルレ」は、フランス語の形容詞で、「真珠のネックレスのような」というニュアンスの言葉です。「ジュ」は「演奏」という意味。早いパッセージを弾くときに、一音一音が真珠の一粒一粒のようによく並んでいて、それが一つのフレーズを作り出す。19世紀から20世紀中ごろにかけて、このような印象をもたらすピアノ演奏は、「ジュ・ペルレ」、すなわち「真珠のネックレスのような演奏」と呼ばれました(19世紀には、ピアノ以外に、声楽やヴァイオリンでもさかんに真珠の比喩が用いられました)。
 人が真珠のようだ、と感じるのはどんな演奏だったのでしょうか。またそう感じることには、どのような意味があったのでしょうか。時代によっても多少の認識差は生まれると思いますが、「真珠のような」演奏のイメージは20世紀初期の演奏録音から辿ることができます。蓄音機の発明は1877年、エジソンの手によって成し遂げられましたが、実用的な演奏録音は20世紀初頭から活発になりました。「真珠のネックレス」のような演奏の一例として私がとても特徴的だと思う演奏の録音を挙げてみます。次の動画は1904年に録音されたパリ音楽院ピアノ科教授、ルイ・ディエメール(1843- 1919)の演奏です*1。
(古い録音ですので、音質の悪さは差し引いて聴いて下さいね)

 

Louis Diémer plays his Chant du Nautonier, Opus 12 (1906 rec.)

 

彼が演奏しているのは、自作の《船乗りの歌》作品12です。右手のアルペッジョや音階が弛むことなく、そして小さな穴も作ることなく、真珠のネックレスのように音が連なっている感じがしませんか?それでいて、そのハープのような動きは内声の素朴な船乗りの唄を邪魔しません。ところどころでテンポを緩めたりしてニュアンスを付けることもなく、とてもあっさりとした、気取のなさが感じられます。喩えるなら、装飾品がきらびやかに、上品に室内を彩りながら、決して人々のドレスの美しさを貶めることなく、むしろ引き立てている、といったところでしょうか。ルイ・ディエメールだけでなく、フランス人ピアニストのフランシス・プランテ(1839-1934)、カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)、そしてマルグリット・ロン(1874-1966)の奏でるピアノが、真珠に喩えられました。

 

動画:サン=サーンス《アフリカ幻想曲》Op.89にもとづく、作曲者による即興

 

Camille Saint-Saëns (1835-1921): Cadenza for "Africa" op.89

「社交的」なフランスと「真面目」なドイツ

 あまりステレオタイプによって国民の気質を決めつけるのは良くありませんが、19世紀、そしておそらく20世紀の半ば頃までは、演奏スタイルにも国民性があると考える向きがありました。現代ではグローバル化の中でそうした地域色はほとんど見られなくなっており、「日本人的な演奏」とか「ドイツ人的な演奏」というと、単なる先入観とみなされることが多いでしょう。しかし、人の移動が地理的に今よりずっと制限されていた時代には、土地の文化的風土に芸術家や作家の気質を見て取ることが、よくありました。
 例えば、こんな例があります。ドイツ人の母とベルギー人の父をもつ、当代随一のピアニスト、マリー・プレイエル夫人が1840年にウィーンで演奏したとき、演奏評が、フランスの音楽雑誌に翻訳掲載されました。その記事には、彼女の演奏スタイルと地域性が結びつけらており、こんな風に書かれています。「あの明快さ、あの首尾一貫した重厚さに、ドイツ楽派の深刻な意識を認めるとき、細やかで微妙な細部、真珠で飾られたような諧謔味は、すぐにフランス楽派の習慣を思い出させる*2。」
 
*1「ディエメ」というカタカナ書きもありますが、正しくは「ディエメール」です。ドイツに近いアルザス地方出身なので最後の「er」を発音します。
*2 Anonyme, « Correspondance particulière. Madame Pleyel à Vienne. », Revue et Gazette musicale, 26 janvier 1840, 7e année no 8, p. 66.
 
プレイエル夫人(旧姓モーク)は、パリのピアノ製造者カミーユ・プレイエルと結婚したので、長くフランスに住んでいました。ドイツ、フランス、ベルギーという3国の文化圏の中で生きてきたプレイエル夫人の背景を、記者は当然知っていたのでしょう。記者は、「ドイツらしさ」としての「深刻さ」を、「フランスらしさ」としての繊細さや、「真珠で飾られたような諧謔味」という独特の表現を持ち出しています。
 内向的なドイツ気質と外交的なフランス気質は、19世紀の初期から文学作品を通しても認識されていました。フランスで文芸評論家、作家として影響力のあったスタール夫人(1766-1817)は、文学作品に現れるフランスとドイツの地域的気質を、『ドイツ論』という書物の中で次のように言い表しています。

フランスでは作品について話す必要がなければあまり読書をしない。ドイツでは孤独な暮らしをしている場合が多く、作品に相手をして欲しいと願う。それ自体社会の反映にすぎない書物とどんな心の交流の場を作り出すことができるのか!隠棲の静けさの中では社交的な才気ほど哀しいものはないように思われる。孤独な人間にとっては、自分に欠けている外交的活動の代わりに内的感動が必要なのである*3。

 社交のために書を読むフランス人と自分の内的感動のために書を読むドイツ人。フランスは何世紀にも亘って中央集権的な国家体制を整備し、宮廷社交文化を培ってきた背景があります。諸外国においても宮廷では外交言語としてフランス語が用いられており、普遍的で明晰な言語と考えられていました。これに対し、当時のドイツはまだ統一国家ではなく、地域ごとに殿様がいて、宮廷がありました。ドイツ地域ではフランスのように、流行の作家が知っていて、そのエスプリを会話の端々に偲ばせるという習慣そのものがフランス上流社会のようには根付いていなかった、ということでしょう。

真珠の稀少さ

 さて、真珠に話を戻しましょう。先のプレイエル夫人の演奏に関する評で見たように、「真珠で飾られたような諧謔味」は、演奏の社交的な才気を比喩的に言い表しています。評者はユーモアを含み、外見的にも心地よい共感を生む装飾のような社交的イメージを演奏に見出しています。それにしても、演奏を宝石に喩えるなら、真珠でなく、ルビーやサファイアでも良さそうなものです。しかし、真珠にはそれだけの価値があったのです。
 ご存じの通り、真珠は宝石とはいえ、地質学的な生成物ではありません。アコヤ貝など、いくつかの種類の貝が分泌物によってその内部に形成する、光沢のある物質です。
 
*3 スタール夫人『ドイツ論』大竹仁子、中村加津訳、諏訪、東京:鳥影社、2002年、11頁。
 
日本の養殖真珠が普及するまで、貝から生まれる神秘的な宝石、真珠には、ダイヤモンド以上の価値が認められていたと言います。真珠は中東、オーストラリア、中南米、ならびに日本を含むアジアの一部地域でしか産出されず、しかも自然条件に恵まれなければ採取することができない、自然の奇跡的な賜だったからです。天然の真珠でじゅうぶんな大きさのある良質なものは、貝種によって割合は異なりますが、一万個の真珠貝から数個採れるに過ぎなかったと推計されています*4。さらにその価値を高めていたのは、採取方法です。真珠漁は命がけで、沖合での素潜りによって採取が行われてきました。ジョルジュ・ビゼーによる3幕のオペラ《真珠採り》の第1幕冒頭の合唱で、セイロン島の漁師は、次のように歌います。

まさにこの場所なのさ、運命が
毎年のように、俺たちを連れてくるのは
果敢に死ぬ心づもりは出来ている!
深い波の下に潜る
勇敢な者たち
黄金の真珠は俺たちのもの
人知れず隠された真珠は!

 死の危険と隣り合わせで採取される真珠は、19世紀の西洋人がオリエント世界(北アフリカを含む東方世界を広く指す言葉)に抱く幻想的な憧れを表す存在だったのです。まさに「男のロマン」ですね。
 

*4 同前、7、13頁。

 

G. リュペース《アジアの真珠――ピアノのための大ワルツ》
G. リュペース《アジアの真珠――ピアノのための大ワルツ》
描かれた女性の姿は、ビゼー《真珠採り》のヒロインを彷彿とさせる。
背景の太陽は、まさか日の丸?!

 

 このようなイメージはかなり古くから存在したようで、紀元前二千年紀にさかのぼるバビロニアの叙事詩『ギルガメシュ叙事詩』に、真珠採りとおぼしき様子が記されていると言います。石を結んだロープを伝って潜水して真珠を採取する漁法は、20世紀初頭まで変わることなく行われていたというのですから*5、真珠は人類の文明と長い歴史をともに歩んできた特別な宝石というわけです。紀元一世紀には、ローマのプリニウスが『博物誌』で、真珠が最も高価な宝石であるゆえんを、「人命をも賭けなければならないような贅沢」によらねばならないからだ*6、と記述しています。聖書にも、真珠の価値を示す有名な言葉がありますね。みなさんは「豚に真珠」という諺をご存知ですね。これは聖書の『マタイによる福音書』第7章第6節から来ています。人を裁くまえに、己の視野を妨げる障害物を取り除きなさい、と教えるところで、「聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない」とあります(聖書協会共同訳)。ここでは聖なるものが真珠の比喩になっていることがわかります。さらに聖書の頁をめくると、第13章第45節にも真珠の比喩が出てきます。「天の国は、良い真珠を探している商人に似ている。高価な真珠を一つみつけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」。いかに一粒の真珠が高価だったかが分かります。さらに、キリスト教では、真珠は霊的な高貴さとも結び付いていました。シンボルとして神、聖母マリア(その原罪無き御宿り)、復活したキリスト、天国を表したのです*7。

 

*5 山田篤美『真珠の世界史』、東京:中公新書、2013年、43頁。
*6 同前、62頁。
*7 ヨハネの黙示録の第21章21節には、聖都エルサレムに通じる12の門のそれぞれが、一つの真珠で出来ていた、とあります。

 

真珠をふんだんに用いた十字架上のキリスト像

 

真珠をふんだんに用いた十字架上のキリスト像
(ドイツ、16世紀後期、19世紀の追加装飾) The Art Institute of Chicago. CC0

 
 真珠は人類の長い文明の歴史をともに歩んできたこの特別な宝石は、いつの時代も権力者たちを魅了しました。15世紀に始まる大航海時代には、植民地でアメリカ大陸やインド、中南米において原住民に多大な犠牲を強いながら、天然の真珠を探し求めました。真珠の獲得は、ポルトガルとスペインは、それぞれベネズエラおよび南インド侵略の根拠ともなり、以後、オランダ、イギリス、アメリカをも巻き込んで、帝国主義を背景とした世界的な宝石市場が形成されるに至ります。
 下の写真は、私が2019年に訪れたときにアムステルダム国立美術館で見かけた螺鈿細工による出島の地図です。虹色に輝くアコヤ貝の真珠層で極東の貿易窓口の地図を造形しようというのは、ちょっと突飛な発想にも思われますが、それだけ真珠が東洋のイメージと不可分に結び付いていたということではないでしょうか。
 
長崎の出島を象った螺鈿細工
 

長崎の出島を象った螺鈿細工
(アムステルダム国立美術館、1820年頃)
Rijksmuseum CC0

 

こうした真珠をめぐる長い歴史の中でこそ、真珠は分厚い文化的な意味を獲得していきました。それはたんなる装飾品ではなく、絵画、文学、装飾工芸、音楽を含む舞台芸術において、階級、権力、東方世界への憧れ、といった特別な意味を持っていたのです。
 そこでふたたび、「ジュ・ペルレ」に立ち戻ってみましょう。演奏が真珠に喩えられるということは、単に演奏の粒立ちがよい、というだけではなく、高価や希少といったニュアンスも当然セットで含意されていたということです。
 それでは、背景を見たところで、次回は「ジュ・ペルレ」と言う表現が、どのような演奏の質について用いられたのかを見ていきましょう。

(つづく)

*この記事は、日本学術振興会研究奨励費(課題番号18J00661)の助成を受けて行われた研究に基づいています。

上田泰史

金沢市出身。
2016年に東京藝術大学大学院音楽研究科文化学専攻にて、19世紀のパリ音楽院のピアノ教育に関する研究で博士号を取得。
同年にパリ=ソルボンヌ大学でもパリ音楽院教授ジョゼフ・ヅィメルマンに関する論文で博士号(音楽学)を審査員満場一致で取得。在学中、日本学術振興会より育志賞を受ける。
著書に
『「チェルニー30番」の秘密――練習曲は進化する』(春秋社,2016)
『パリのサロンと音楽家たち――19世紀の社交界への誘い』(カワイ出版, 2017)。
2018年4月より日本学術振興会特別研究員(SPD)を務める。
東京藝術大学、国立音楽大学、大妻女子大学ほか非常勤講師。

リンク(書籍)

上田泰史:「パリのサロンと音楽家たち」19世紀の社交界への誘い-カワイ出版オンライン
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「チェルニー30番」の秘密 - 春秋社 ―考える愉しさを、いつまでも

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